今朝、晶が手に入れた羅府テレフォンガイドをぱらぱらとめくっていたら、いろんなことを新しく知った。すげーや、テレガイド。
まず、羅府って言葉を知らなかった。ロスのことみたい。
まあそれはさておき、後ろのほうに自動車免許の問題集が載っているのも便利なのだが、それも飛ばして、「日系アメリカ人の歴史」というのが載っていた。ジョン万次郎からの歴史が(とっても簡単に)説明されているんだけど、恥ずかしながらワタクシ、強制収用とかその後の運動の話とか、ほとんど知りませんでした。無知ですみません。
それで、(おそらく)最終的な決着をつけたのが1988年レーガン大統領時代の『市民の自由法』で、公式に謝罪し、一人当たり2万ドルを8万人(?)に補償したとのこと。実はそれが一番衝撃的でした。つい最近やん!交付終了が1998年というから、僕がアメリカの高校に通っていたころはまだ手続き中だったということ。なんだか言葉でうまく言い表せませんがとにかくショッキングでした。
まあ当然、中国や韓国などの補償問題と同様、まだ燻っているところはあるとは思うんだけど、あまり日本国内では注目されていないあたり、対応が毅然としていた(いる)のかしら、とか、またそういう場合は、煽りとか誤解などの負のフィードバックによる注目もなく、問題がスムーズに解決しやすいのかな、などなど、色々と考えさせられるきっかけを与えてくれた羅府テレガイドでした。ありがとう 。